Il senso religioso - giapponese

Luigi GiussaniDon Bosco Press - Tokyo 2007
Pages: 256

“わたしたちは、今日、理性は信仰とは無縁であるといわれるのをたびたび耳にするが、では信仰とはいったい何なのだろうか?理性とはいったい何なのだろうか?(中略)人間は理性をもって現実に直面する。理性があるからこそ、わたしたちは人間であるといえるのだ。だから、わたしたちは理性的でありたいと切に願う必要がある。こう切望することは、わたしたちがこれから論じようとすることの中心である”

BUR『宗教心』は「針路」と称される3部冊の第一巻であり、ジュッサーニ神父は自分が辿った体験及び思考の行程を要約している。ここでは理性の本質、そして人間の意識の根本は宗教心に見出されている。筆者によると宗教心は各々の人間が人生、現実、起こるすべての出来事の意味を問う根源的経験のレベル(次元)に位置すると言う。事実、現実が人生の究極的そして徹底的な意味は何かという問いかけを生じさせるのである。こうした問いかけ、またそれらに対する答え(応え)-如何にして表現されようと‐が宗教心そのものである。
ジュッサーニ神父は、どの時代の人間にとっても最も魅惑的で明らかな事実である根源的な依存の意味の発見へと読者を導く。最終章でジュッサーニ神父は啓示の可能性を導入する。すなわち、謎の“不可思議なもの”がイニシアティブをとって人間に出会いに来ると。キリスト教が宗教心と関係があるのは、自分自身の運命を発見し愛しながら生きたいという人間の願望に対する予想外の応え‐意外であるにもかかわらず全く理性的である‐として生じるからである。